
今回は、専業主婦のハシビさんに「当時困っていたこと」や「今みんなに伝えたいこと」を聞いてきました!
【背景】

眼下の痙攣の症状があった、当時の状況を教えてください。

片目の下が日常的にピクピクしていて、ひどい時には目が開かなくなるような状態が、2~3年ほど続いていました。

内科・神経内科・眼科・脳神経外科など、様々な病院に行きましたが、ストレスだと言われたり、ストレスじゃないと言われたりしました。

内科と神経内科では漢方薬を処方され、眼科では該当する顔の神経をブロックする注射を打つことで、痙攣を止める方法が提示されました。注射をすると痙攣は止まるけれど、顔面の神経が麻痺している状態になるので、顔の表情も動かせなくなるんです。 3回ほど打ちましたが、根本的な解決にはならないし、顔が引き攣る感覚も不快でした。

脳神経外科では手術の話も出ましたが、「頭の中の手術はリスクが大きい。命に関わることではないのに、リスクを負ってまで手術する必要はない」と、お医者さんから言われました。

でも、周りから見れば大した症状じゃなかったとしても、本人にとってはすごく重大な、生活の中で大きな部分を占めることかもしれませんよね。 当時は「そんなこと言うんだ。わかってもらえないんだ。本当にお医者さんって、患者さんの気持ちがわからないんだな。」と思いました。

その後、どうして手術を決意したのでしょうか?

「この先何十年生きるだろう」と考えたら、何か方法があるならば、この痙攣を何とかしたいと強く思うようになりました。

根本解決には手術しかないと思いました。そこで、信頼できるお医者さんを探し出して、手術することを決めました。

視野の問題もあるけれど、相手に不快な思いをさせてしまうのではないかという不安も自分にとっては大きな問題で、その状態がずっと続く、終わりの見えない状況がとても嫌でした。

それによって、自分の行動が制限されることも嫌でした。

だから、手術を決心してよかったです。結果、痙攣は治りました。 本当に手術をしてよかったと思います。
【困りごと】

眼下が痙攣したことで、具体的に困った経験を教えてください。

視野が狭くなって、ものが見づらかったことです。

また人と対面する時、相手に気を遣わせたり「ちょっと気持ち悪い、怖い」と思われたりするのではないかと考えてしまって…人に会うことが憚られることもありました。

こういったケースでは、人に会わないようにするために、家に籠る人もいるかもしれません。 だけど私はそれは嫌だったから、できるだけ外に出て行きたいと思っていました。

同じ境遇の人がいた場合、手術を勧めますか?

手術が上手くいく保証はないですよね。だから手術自体は強くは勧めません。 手術をするかどうかは本人が考えて決めることだと思います。

だけど、手術しない選択をしたときにどうなるかを想像してみてほしいです。 その先の人生、どう病気と付き合っていくのか、それで自分の行動が制限されることに対してストレスはないのか。 これらをよく考えて決めると良いと思います。

私は性格上、自由を制限されたり束縛されたりすることが嫌いなのでしょうね。

自分に痙攣という制約があることで、人と話すことを避けるような、消極的な人生は送りたくないと思いました。 解決できる可能性は手術しかないと考えたので、手術の道を選びました。

色々な選択肢を調べてトライした上で、手術を選んだのですね。

注射したり薬を飲んだり、自分で得られるだけの情報を集めて試行錯誤した結果、何も根本的な解決にはならなかったんです。

その時に「この先どうするの?」と考えた結果が手術でした。
【合理的配慮】

同じような状況の人に向けての参考として、治療内容を具体的に教えてください。

内科・神経内科・眼科・脳神経外科の順で受診しました。内科と神経内科では、神経の興奮を抑える漢方薬を処方されました。眼科では、痙攣を麻痺させる注射を受けました。脳神経外科では、脳のCTやMRIを撮って、状態を見て手術をするかを検討しました。手術する決心をしたあとは、信頼できる医師をさらに探して、手術をしました。

当時、家族にして欲しかった配慮はありますか?

特にありませんでした。結局は自分の問題で、人に話したところで痙攣が治るわけではないですよね。

関わり方としては、治療法を一緒に探してほしいとは思っていました。実際に執刀医は、主人が探し出してくれた先生でした。主人にはとても感謝しています。

同じ境遇の方へ、人と話す際のアドバイスはありますか?

親しい人と会った時は、自分の状況を話して聞いてもらうといいのではないでしょうか。知っているのと知らないのとでは、話している相手の受け取り方が違うと思います。何か解決策が見つかるような情報も得られるかもしれません。それ以外の場合は、その話題には全く触れずに、その場をやり過ごすのも一つの方法だと思います。

その時、周囲の人はどう対応するのが良いでしょうか。

あくまで私の意見ですが、親しくない人からは痙攣しているという事実については、できれば切り出してほしくないですね。 状況を説明し始めると、話がすごく長くなるし、その時の話題がそれだけになってしまうのが嫌でした。

そのため、触れられないことが、私にとっては一番楽でした。

そういう人がいるということ・誰もがなり得る状況であることを、みんなが知っているという状態が理想的なのかもしれませんね。

そうですね。 自分の中の不快感はありますが、他者からの見られ方に対する心配事はへるかもしれません。

人は見かけじゃないとわかっていても、やはり見た目については気にしてしまうものです。 人間は知らないことに対しては本能的に恐怖や不安を覚えるし、その状況は避けたいものだと思います。

それを恐れて家に引き篭もりがちになってしまうと、社会がそのケースに対して無知になり、さらに「珍しい」人になってしまう。悪循環ですね。

外出するかどうかはもちろん各人の自由ですが、私は出たほうが良いと思います。

本人のせいではないのに、行動が制限されるとしたら、そこに理不尽さを感じます。

ハシビさんのケースだけでなく、ご病気が原因で車椅子を使用している方が、外出時の視線から家に引きこもってしまう例もあります。

車椅子の方も私の場合以上に、街中では視線を感じてしまうと思います。

だから私は、なるべく目を合わさないように自然に振る舞うようにしています。私なりの配慮です。

また大人だけでなく、近くで接する小さいの子どもからの視線もかなり気になりました。むしろ大人より子どものほうがよく気が付くのではないでしょうか。

大人はもちろんですが、子どもたちにもいろいろな人と触れて、多様な人がいることを知ってほしいですね。将来の不要な不信感や差別の軽減に繋げるためにも、「無知を有知」にすることが現状の課題だと強く感じます。
- 同じ境遇の人へ
「その先の人生、どう病気と付き合っていくのか」と自分に問いかけてみてほしい。 - 身近な人(家族・親友・恋人)へ
何よりも、一緒に治療方法を探してくれることがありがたい。 - 周囲の人へ
無理に触れなくてもいい。ただ「そう」であることを、「そういう人」がいることを知っていて。